6月の京都 東山 智積院

  • 2019.06.21 Friday
  • 15:45

JUGEMテーマ:鉄道・駅

智積院は今回の京都行きで是非訪れたいところだった。智積院は真言宗智山派の総本山。長谷川等伯作品の収蔵でも有名であるが、壁ふすま、建物よし。庭よし、そして何よりこの時期は紫陽花苑が無料開園されている。紫陽花見たくて訪れたのだが、むしろ講堂(方丈)から、講堂内のふすま絵に庭園を堪能した。紫陽花苑に向かう頃、明王殿から僧達が唱える読経が聞こえてきて、これもよかった。

 

奈良興福寺 中金堂見たさに

  • 2019.06.21 Friday
  • 12:00

JUGEMテーマ:一人旅

=泉涌寺から奈良へ=

泉涌寺から下って、停留所を探した。市営207系で東山7条で降りれば智積院である。さて、その停留所。東大路通りの手前から道路向こうか?停留所にいた女性に聞いたら道路向こうで智積院までは歩いていけるとのこと。後になって地図を見れば確かに。歩いて15分くらいだろう。ついでに東福寺の駅はどちらかと伺ったら、そこの道を下ってすぐですよと仰る。そこの道とは道路向こうの路地を入ればいいということ。時間は10時45分を少し回っている。時間を見ればJR東福寺11時5分発の快速みやこ大路がある。奈良に着くのは11時48分。24日に予定していたが、24日はその後の時間が不安定。いっそのこと行ってしまえと急遽予定変更。

 

=奈良興福寺=

JR奈良駅はすっかりリニューアルされていた。10年前とは違う。駅前の総合観光案内所でMAPをゲット。春日大社方面行きバスで奈良県庁下車。奈良県庁でお食事どうぞという貼物に釣られて県庁6階へ。12時20分頃である。当然のことながら県庁職員で6階大食堂はごった返していて空いている席はない。諦めて階下に降りて奈良公園を抜けて興福寺へ。久しぶりだが、興福寺はもっとスケールが大きかったような気がした。何しろ興福寺には土塀がない。

1 最初に訪れたのは東金堂。昨年落慶法要が行われたのが中金堂で、南円堂の北に跡のみ残す西金堂があった。東金堂の隣が興福寺国宝館でかの美少年阿修羅像が安置されている。東金堂は自身の修学旅行でも引率でも何回か訪れている。本尊である薬師如来像、日光・月光菩薩像、四天王像、十二神将像、維摩居士像、文殊菩薩像などが安置されている。

 寺の歴史からは平家物語南都炎上に描かれている1180年の焼失、1411年にも焼けており、5回の焼失にあっている。

2 堂内のおばさんスタッフとお話しした。鎌倉様式を残している。そんなことを話したら、何度も焼けていてとくだんのお話をした。興福寺は藤原氏。藤原不比等が祖のようなものですけれど、藤原氏は中臣氏、中臣氏は壱岐氏。壱岐のいわばシャーマンみたいなもので、それが対馬の天皇家とくっつき、天皇家に寄生するように勢力を拡大していった。亡くなった梅原猛はだから「藤」だといわれた。藤すなわち寄生植物。そんなお話をしたら大笑いである。

3 興福寺国宝館 印象に残っていることは手足がもがかれた仏像が多かったこと。

4 南円堂。八角堂である。弘法大師が建立に深く関わっていたことが知られています。藤原冬嗣が父内麻呂の病気平癒を祈って建立されたという。また、基壇築造の際に地神を鎮めるために和同開珎、隆平永宝を捲きながら築き上げたと説明されている。

5 興福寺中金堂。長く仮屋だったのを平成22年から再建を初めて、昨年(平成30年10月)に落慶法要が行われた。今後、南大門、中門そして中金堂へと連なる回廊が再現されて往事を偲ぶことになろう。中金堂は朱である。青丹よしで、丹である。仏像は木造。係員の説明では中は木造で外は漆だと言うが、寄せ木造りに私には見えた。

 

=奈良県庁6階で昼食=

再び奈良県庁6階へ。ところが、旗をもったガイドに連れられて外国人ツアーが同じく県庁6階に。???である。そして了解。安いのである。そして外国人、多くは東南アジア系のオーダーはラーメン。なるほどと思った。私は選べる定食をオーダー。ところが食堂のスタッフは何を勘違いしたか、私の前にいたガイドと同じものを私のトレイに。とほほである。

 

=帰りは奈良駅構内のイオンで飲み物購入=

このあたりは、どうもJR東海とは違う。奈良駅構内には巨大なイオンがスーパーを出している。ここで、車内飲み物を購入して京都へリターン。

上左から 1左 奈良県庁 1中 中金堂 1右 興福寺五重の塔 2左 中金堂正面 2中 南円堂

2右 五重の塔、東金堂を望む 3左 北円堂 3中 中金堂 五重の塔を望む 3右 東金堂 奈良国宝館 若草山を望む

4左 中金堂正面 4中 JR奈良駅 4右 みやこ大路車内で喉を潤す

6月の京都 泉涌寺のこと 皇室の菩提寺

  • 2019.06.21 Friday
  • 10:10

JUGEMテーマ:一人旅

=泉涌寺へ= 

東福寺から泉涌寺へ。東福寺の開門前守衛さんから、泉涌寺へ行くなら戻って突き当たりを右に行くのではなく、左に行って、大通り(東大路通り)に出て、京都第1日赤病院前を通過して、すぐ右折して…と勧められた。要するに泉涌寺通りを登れということだった。戻って龍眠菴を右に曲がり、日吉ヶ丘高校脇を抜けた方が近道だが、私を見て坂道のきつい右折道を勧めなかったということだ。

それでもきつい。ようやく御寺泉涌寺の御門が見えたが、ここからもずっと先である。ようやく坂を下ったところに受付らしきところがあったが、どうも以前見た光景とは違う。それで訊ねた。「かつて来たときには参道が坂になっていて御門の下に本堂が見えたのですが…」そうしたら「タクシーで来ましたか?」と聞き返してきた。「そうです」と答えると、「同じですけれど、タクシーの場合はこの上です」という。??やはり間違えたかと来た道を戻り、しばらく坂を上がった。そこに御寺泉涌寺と掲げられた御門があり、見覚えのある本堂が眼下に見えた。珍しい下り参道である。

=泉涌寺 皇室の菩提寺=

 泉涌寺へ来たのは、京都の友人M君のお勧めだからで、私自身3回目になる。M君曰く。「泉涌寺は皇室の菩提寺でつい先日も上皇陛下が見えられて退位のご報告をなさったとか」「偶然、私も京都駅で上皇陛下にお会いすることができました」。そう泉涌寺は存外知られていないが、皇室の菩提寺になっている。明治維新直後血迷った神道原理主義者たちの廃仏毀釈で全国のお寺は大変な目にあった。狭教な国学者や薩摩藩が、これを推進。我が国の貴重な仏教文化遺産が失われた。この後の述べるが奈良興福寺など五重塔があと寸前で薪になるところだった。よく考えれば分かりそうなものを。仏教の教えを政治に取り入れ広められたのは聖徳太子であり東大寺を造営されたのは聖武天皇だ。江戸時代まで神仏習合だった。皇室の菩提寺があるのは何の不思議もないのである。

 大門から参道を下って仏堂に向かった。ふと横を見たら先ほど伺った受付があった。何と私は遠回りをしてわざわざ大門から参道を下ったのだった。仏堂の鏡天井には狩野探幽の蟠龍頭が描かれている。ここを後に裏手に回って御座所へ。特別拝観である。受付で12日は大変だったそうですね、と聞いたら、いやあ普通じゃありません、大変な警備で、警察が来て1週間ほど前から境内を隈無く調べ、前日はテントを張って徹夜で警備体制を敷いていたとか。

 中に入ると上皇陛下がつい先日座られた御休所の卓や椅子を見ることができたし、勅使門も拝観できた。最下右の写真は今熊野観音入り口。ぼけ封じ、知恵授かりとあった。(笑い)

 それにつけても平成21年にここに案内されたときと何となく違う。あれはどこであったのだろうか?

 泉涌寺についてはこちら

 

6月の京都 早朝の雪舟寺(芬陀院)

  • 2019.06.21 Friday
  • 08:30

JUGEMテーマ:一人旅

=雪舟寺(芬陀院)へ=

 東福寺で時間をもてあました。8時20分頃守衛さんのはからいで境内に入ったものの、通天橋が開くのは9時だという。方丈も同じ9時。それで三門から本堂(仏殿)を見たが、それでも時間がある。そこで、日下門下の雪舟寺(芬陀院)へ。ここは開門が8時30分。椿の生け垣の間を抜けて本堂へ。誰もいない。平日、こんな朝の来訪者もいないであろう。声をかけたらご住職が現れて、ゆっくりしていってくれという。それで濡れ縁に腰掛けて、雪舟作と言われている鶴亀庭園を眺めていた。しばらくして、ご住職のお母様いやご婦人か、蚊取り線香をもって手水横に仕掛けてくれた。「蚊がおおいんどすよ。」京都弁である。枯山水の白砂を眺めながら手入れが大変でしょうと声をかけたら、「なかなか砂が手にはいらんどす」と仰る。今まで聞いたことがないことである。「白砂」は白砂青松で白い砂のことと理解していたが、そうだけではないらしい。「白川」で採取できる砂で、「白砂」。なるほど!今は規制がかかっていて、簡単には手に入らないのだそうだ。蚊が多いのは、この砂の下はじっとりしていて蚊が増えると仰っていた。これも未知のことだった。雪舟寺の鶴亀庭園は、昭和になって荒れていたのをかの重森三玲が復活させたとあった。

この雪舟寺の庭で有名なのは円窓からの庭、障子越しの庭である。遠近感が演出されている。

 

6月の京都 朝の東福寺 青紅葉

  • 2019.06.21 Friday
  • 08:00

=東福寺へ=

藤森神社を早々に切り上げ京都教育大前の坂を上って、JR藤森駅へ。ここからJR奈良線でJR東福寺駅へ。京阪東福寺駅とつながった、この駅は紅葉の季節には、東福寺日下門まで行列が続くという。国道143のガードをくぐり東福寺交番を左折。右手に退耕庵が見える。ここに鳥羽伏見の戦いで長州藩は伏見街道の要衝である本陣を敷いたことから、ここは鳥羽伏見の戦いにおける長州の殉難者の菩提所となっている。付け足すなら、この退耕庵は安国寺恵瓊が再興し住職を務めていた。要するに西軍に床林ある寺。退耕庵を過ぎたら霊源院前を右折、龍眠菴を過ぎたらまた左折。泉涌寺案内板があるが、右折。同聚院前を通過すると臥龍門。ここからの景色は絶景。秋は紅葉一色になるであろう青紅葉の渓谷が見え、その先には通天橋が望める。ようやくにして日下門に到着。しかしながら門は開いてはいても守衛が立ちまだ開門前だという。開門は午前8時30分。まだ25分もある。仕方なしに門前に腰を下ろして守衛と世間話を始めた。次に泉涌寺へ行くと行ったら、戻った突き当たりを左には行ってはいけないという。右に行って、要するに戻って国道143沿いに日赤病院の向こう側にある泉涌寺通りを上がれという。坂がきついからだそうだ。門中を覗いたら庭師が生け垣の刈り取りをしている。しばらくして、開門前だがと早めに入れてくれた。気のいい人である。左手に経堂、右手には禅堂、その奥に有名な雪隠、東司。通天門前に行ったら、受付は9時だという。仕方なしに三門、勅使門、本堂(仏道)を拝観することにした。ここは三門と書く。山門ではない。それは、三境地を経て悟りの世界へ至る門という意味の「三解脱門」を略して三門なのだそうだ。足利義持が再建。五間三戸、重層入母屋造の建物で、現存する禅寺の三門としては日本最古のもの(国宝)だとあった。確か2010年、最後の修学旅行でここを訪れ、特別拝観で楼上まで上れて中を拝観した覚えがある。宝冠釈迦如来、月蓋長者、善財童子、十六羅漢の諸仏とともに天井や柱の明兆とその弟子による極彩画を今でも覚えている。

=通天橋からの青紅葉=

 京都から帰って28日、29日は大阪サミット。会場は大阪だが、米中を除く参加国首脳夫人方はここ東福寺通天橋からの青紅葉を楽しんだとか。深山通天橋の先には開山堂がある。この橋を渡ったのはおよそ30年ぶり。異国情緒に魅入られた若き頃を思いだした。振り返り右手奥に見えるのが方丈。幾何学模様の庭が珍しく、美しいが、ここは入らなかった。