6月の京都 泉涌寺のこと 皇室の菩提寺

  • 2019.06.21 Friday
  • 10:10

JUGEMテーマ:一人旅

=泉涌寺へ= 

東福寺から泉涌寺へ。東福寺の開門前守衛さんから、泉涌寺へ行くなら戻って突き当たりを右に行くのではなく、左に行って、大通り(東大路通り)に出て、京都第1日赤病院前を通過して、すぐ右折して…と勧められた。要するに泉涌寺通りを登れということだった。戻って龍眠菴を右に曲がり、日吉ヶ丘高校脇を抜けた方が近道だが、私を見て坂道のきつい右折道を勧めなかったということだ。

それでもきつい。ようやく御寺泉涌寺の御門が見えたが、ここからもずっと先である。ようやく坂を下ったところに受付らしきところがあったが、どうも以前見た光景とは違う。それで訊ねた。「かつて来たときには参道が坂になっていて御門の下に本堂が見えたのですが…」そうしたら「タクシーで来ましたか?」と聞き返してきた。「そうです」と答えると、「同じですけれど、タクシーの場合はこの上です」という。??やはり間違えたかと来た道を戻り、しばらく坂を上がった。そこに御寺泉涌寺と掲げられた御門があり、見覚えのある本堂が眼下に見えた。珍しい下り参道である。

=泉涌寺 皇室の菩提寺=

 泉涌寺へ来たのは、京都の友人M君のお勧めだからで、私自身3回目になる。M君曰く。「泉涌寺は皇室の菩提寺でつい先日も上皇陛下が見えられて退位のご報告をなさったとか」「偶然、私も京都駅で上皇陛下にお会いすることができました」。そう泉涌寺は存外知られていないが、皇室の菩提寺になっている。明治維新直後血迷った神道原理主義者たちの廃仏毀釈で全国のお寺は大変な目にあった。狭教な国学者や薩摩藩が、これを推進。我が国の貴重な仏教文化遺産が失われた。この後の述べるが奈良興福寺など五重塔があと寸前で薪になるところだった。よく考えれば分かりそうなものを。仏教の教えを政治に取り入れ広められたのは聖徳太子であり東大寺を造営されたのは聖武天皇だ。江戸時代まで神仏習合だった。皇室の菩提寺があるのは何の不思議もないのである。

 大門から参道を下って仏堂に向かった。ふと横を見たら先ほど伺った受付があった。何と私は遠回りをしてわざわざ大門から参道を下ったのだった。仏堂の鏡天井には狩野探幽の蟠龍頭が描かれている。ここを後に裏手に回って御座所へ。特別拝観である。受付で12日は大変だったそうですね、と聞いたら、いやあ普通じゃありません、大変な警備で、警察が来て1週間ほど前から境内を隈無く調べ、前日はテントを張って徹夜で警備体制を敷いていたとか。

 中に入ると上皇陛下がつい先日座られた御休所の卓や椅子を見ることができたし、勅使門も拝観できた。最下右の写真は今熊野観音入り口。ぼけ封じ、知恵授かりとあった。(笑い)

 それにつけても平成21年にここに案内されたときと何となく違う。あれはどこであったのだろうか?

 泉涌寺についてはこちら

 

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